発言するということ

 今まで、mjmj.info でこの「潮吹き」をしていた間は、手加減というと言葉は悪いが、公人としての立場を意識し、あいせん氏らだけでなくあらゆるプレイヤーやジャッジに意味を持つように、具体的な発言を避けてきていた。しかし、今後はそうではない。
 この jizo.info においては、私は一介の個人である。
 問題点を具体的に指摘することで、問題を浮き彫りにし、その当事者に反省を促していこうと思う。

 さて、今の世の中、伏せ字にすることにどの程度の意味があるのかと考えてみたい。
 マスコミなんかでも、伏せ字にすることで免罪符でも得たかのように振る舞うことがある。

 ごく最近、NPO法人「福祉ワーキンググループ大野」の施設が大野市の広報で取り上げられるに際し、その全体写真を撮り、無許可で載せるにあたって利用者の顔に目線を施したということがあった。
 もちろん、担当者本人は善意でやっているのだと信じたい。
 しかし、善意であればなんでも許されるというものでないことは確かである。
 その行為の人権的問題を指摘されて、担当者は担当課長名の謝罪文を出すことになった。
 それが、「結果責任」というものであり、伏せ字にしたところで逃れられない現実である。

 一方、マジック世界に視線を戻してみよう。
 我々福井県民にとってまことに残念なことに、あいせん氏のやっているウェブサイトも同類だと断ぜざるをえない。
 「某」と伏せることで、一層強烈に悪であることを(本人の意志とは関係なく)主張してしまうというのは非常によくあることだ。
 具体的に言えば、2005年2月23日づけの「屋根裏部屋」の記事がまさにそれに該当する。
 「某業界」と書いておきながら、同じ段落の中で「パックやカードを売ってしまう」とあり、これがTCG業界のことであることは疑う余地もない。

 福井市内のプレイヤーからの話によると、かつては彼らのイベントも盛況であり、販売行為もなされていたという。ひどいときには、プレリリースパーティで余ったパックを販売していたという話も耳にしている。
 それが彼ら自身の手によって衰退し、自分たちが利益を上げられなくなったときに、自省するのではなく、他者に責任を転嫁する。
 これは、彼らの常に繰り返してきた悪癖である。
 確かに、ブームだった時代に比べれば、プレイヤーの総数が減っているのは間違いない。
 しかし、最盛期に何十人というプレイヤーを集めた地域で、4人のプレイヤーしか集められなくなるほどに衰退してしまっているわけではない。それは福井だけ、もっといえば彼らの周りだけの特異な出来事なのだ。
 彼らのイベントが衰退しているのは、マジックに魅力がなくなったせいでもないし、ましてや、ウィザーズ、代理店、販売店が彼らに対して何か妨害をしているからでもない。
 彼ら自身が彼らのイベントに来た人たちを裏切りつづけてきている。
 その結果、裏切られたプレイヤーたちが彼らのイベントに参加したくないと思い、参加しなくなっている。
 ただそれだけのことなのだ。
 それは、私や福井MTG交流会といった他の主催者によるイベントがあれば、喜んで参加してくるプレイヤーがいてくれることが裏づけている。

 フレッシュパックの廉売は、確かに短期的には他のショップとの競合になる。
 しかし、しょせんイベントの際に行われる、一過性の『祭り』に過ぎない。
 重要なのは、そのイベントに参加したプレイヤー、そして参加しようとするプレイヤーが、マジックを続けていくかどうかである。
 マジックを続けていくのであれば、当然に、販売店からフレッシュパックを買い、販売店でシングルカードの販売やトレードを行ない、そして新しいプレイヤーたちに道を示していくことになる。
 長期的には、イベントでカードを売ることは、地域のマジックのためにもなる。
 私はそう信じてきているし、実際、そうしてマジックを再び始めたプレイヤーもいるということを、この「くじらの巡業」の参加者数が物語っている。
 去年、私が「来年の福井県選手権には、今年の福井県選手権の2倍、40名の参加を頂けるようにしたい」と言ったとき、鯨の寝言だと感じた人は多かっただろう。
 しかし、賞品を吊り上げることなしで、今回の巡業には21人の参加者を頂けた。
 これから半年強の時間をかけて、さらに参加者を増やしていきたい。そして、40名という数字を現実のものにする。それが、今の私に課せられた使命だと思う。